転写調節による代謝制御

研究の背景

 生きものの細胞では多くの一連の化学反応が起きています。そして多くの代謝反応はあらゆる生物に共通であります。それは全生物が共通の起源から進化したためと、熱力学の法則による制約のためです。炭素源である糖は細胞に取り込まれ、解糖系によってピルビン酸に異化代謝されます。解糖で生じたピルビン酸や脂質からアセチルCoAが作られ、クエン酸サイクルを経て、最終的には二酸化炭素まで酸化されます。この一連の反応の中で高エネルギー化合物のATPや還元力であるNADHなどのエネルギーが生産されます。NADHは酸化的電子伝達系によるATP合成の際に利用されます。解糖系のみを利用した代謝でもATPは合成されますが、クエン酸サイクルおよび酸化的電子伝達系を使用した方がより多くのATPが合成されることが分かっております。最近では解糖系の反応は非常に速く、クエン酸サイクル以降の反応は遅い事を示唆する報告があります。このような解糖系からクエン酸サイクルにおける反応を触媒する酵素はあらゆる生物で保存されております。エネルギーの獲得は細胞の増殖速度や細胞内外の環境の変化などに応じて綿密に制御される必要があり、代謝酵素の活性の調節、つまり利用する代謝経路を選択する事により調節されています。この代謝制御は酵素活性と酵素量によって規定されます。酵素活性は細胞内のATP/ADP比やNADH/NAD+比、また生成物の基質量のバランスによるフィードバック制御によって制御されている例が多数報告されています。一方で酵素量は遺伝子発現の制御によって決まりますが、生物毎で様々な転写因子が同定されており、多因子が関与しているためにその機構は非常に複雑です。代謝制御を理解するためには、転写調節因子の一つ一つの制御機構はもちろん、複数の転写因子の調節する機構を同時に考え、そしてそれらに制御される代謝経路の全体像を明確にする事が重要です。このような視点から、私達はバクテリアのモデル生物である大腸菌を用いた転写調節による代謝制御の研究を行っております。
 

大腸菌を用いた炭素源代謝酵素の転写発現調節の解析

 ただでさえ複雑な代謝制御機構の理解を目指すためには、これまでに最も知見が蓄積しているモデル生物、大腸菌を研究対象とすることが相応しいと考えられます。これまでに大腸菌の炭素源代謝における転写発現調節の研究によって、以下の事が分かってきています。①環境中からの糖の取り込みは糖の種類に応じた個々の糖のトランスポータータンパク質によって行われており、それらをコードする遺伝子の転写量はそれぞれの糖をシグナルとして感知する転写因子によって制御されている。またそれぞれの糖を解糖系の基質に変換するまでの代謝酵素の遺伝子群とオペロン構造を形成している場合が多い。②糖の取り込み遺伝子群の多くは転写因子CRP(cyclic-AMP (cAMP) Receptor Protein)によって転写が活性化される。CRPはPTS(Phospho Transferase System)と呼ばれるバクテリア特有の糖の取り込みシステムの活性に応じて酵素活性が変化するcAMP合成酵素によって合成されるcAMPと結合することで活性化される。③解糖系における解糖酵素遺伝子群はCra (Catabolite Repressor Activator)によって転写が抑制化されている一方で、糖新生酵素遺伝子群は転写が活性化される。CraはFructose-1-phosphate (F-1-P)、またはFructose-1,6-bisphosphate (F-1,6-P2)と結合することで不活性化される。④クエン酸サイクルの遺伝子群はCRPによって転写が活性化される。

 
 ここで挙げたことはほんの一部の事であり、挙げればきりが無いのですが、このような知見はそれぞれ個々の酵素の遺伝子発現制御、または個々の転写因子の制御機構についての報告により判ってきたことでした。また、これまでの転写制御の研究は遺伝子破壊株を用いた支配下遺伝子群の発現量の比較が主流で、これでは間接的な影響までも反映した結果を観察してしまい、本質的な機構を理解するには至っていないものもありました。そこで、私達はこの2つの炭素源代謝のグローバルレギュレーターであるCRPおよびCraの直接的な支配下遺伝子群を同定する目的で、Genomic SELEX法を用いた研究を行い、ゲノム上の結合領域の網羅的な同定に成功しました[Shimada et al. (2011) J. Bacteriol., Shimada et al. (2011) PLoS ONE]。それらの結果から、Craが解糖系の全反応の転写を制御していること、CRPが糖新生および酸化的電子伝達系を活性化していることなどが判りました。ここでCRPの新たな役割について少し考えてみたいと思います。糖の取り込みであるPTSの活性は糖の取り込み速度を反映していますので、糖の取り込み速度が低下している際にcAMP合成酵素が活性され、cAMP濃度が上昇します。CRPはcAMPによって活性化されますので、糖の取り込みが低下している状態、すなわちエネルギー源の獲得が低下している状態において、糖新生の遺伝子群の転写を活性化させ、解糖の速度を抑える代わりに、クエン酸サイクルの遺伝子群の転写を活性化させることで還元力であるNADHの生成を促進する事と、その還元力を利用してATPを合成する酸化的電子伝達系の遺伝子群の転写を活性化させています。これは、糖の取り込みが低下しているような低エネルギー源の環境下では炭素源を二酸化炭素まで酸化させて限りあるエネルギー源から可能な限りのエネルギーを獲得しようとしていると考えられ、CRPの転写制御により合理的な戦略を可能としていると考えられます。詳細は省きますが、それらの結果とこれまでの知見を合わせて、ここで炭素源代謝においてなぜ2つのグローバルレギュレーターが必要なのかを考えたのが図のモデルです。先にも述べましたが、PTS活性は代謝の流量であり、cAMP合成酵素の活性、すなわちcAMPレベルを調節しています。ここを出発点として考えますと、次にcAMPはCRPの活性を調節し、CRPは糖のトランスポーター遺伝子群の転写量を制御することで、細胞内の糖濃度、すなわちエネルギー源量を調節します。細胞内のエネルギー源量は解糖系の出発基質となるF-1-Pまたは F-1,6-P2を感知するCraの活性を調節します。Craは解糖系と糖新生の酵素の遺伝子群の転写量を制御することで代謝の流量を調節します。そして代謝の流量はPTSを通じてCRPの活性を調節し、これらの関係性を考え始めた出発点に戻ります。つまり、炭素源代謝にCRPとCraが必要な理由は代謝流量とエネルギー源量のバランスを環境に適した状態に保つためであると考える事ができます。
 しかしながらこれはCRPとCraの二つの転写制御因子を中心に転写の制御から強引に考えたにすぎず、酵素活性の調節因子との関連性を考えなければなりません。また、核酸やアミノ酸、脂肪をはじめとして、様々な因子が細胞には存在し、これらの代謝とのネットワークも含めて考える必要があります。これまでの研究を基盤として、様々なネットワークを明らかとする事で、全体像を描けるような研究を進めていきたいと思っています。
 
 

応微研ジャーナル


 
1955年創刊、67年の歴史をもつ日本オリジナルの微生物学分野の国際誌です(IF 2020/2021 = 1.447)。本誌のChief Editorを2014年3月より田中が担当しております。

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