最近の研究

π電子系を利用した新規機能物質の開拓


#2011年7月 無機資源部門 

酸化還元に応答してダイナミクスを大きく変化させる高密度π電子含有らせん分子

 らせん状の構造をした分子は、核酸や蛋白質を始め自然界のあらゆる所に存在しており、さまざまな機能を発現しています。これらのらせん分子は有機エレクトロニクスや分子機械への応用の可能性を秘めており、特に外部刺激に応答してその性質が変化するらせん分子は注目を集めています。

図1. オルトフェニレンの分子構造(上)とその模式図(下)

 

本研究では、非常に単純な骨格でありながらこれまで合成例のなかったオルトフェニレン多量体(図1)の合成に世界で初めて成功しました。これらの分子はコンパクトに折り畳まることでベンゼン環3つを一巻きとした強固ならせん構造を取ることが予想されます。実際、ベンゼン環が8個結合した誘導体の構造解析により、美しいラセン構造の形成が明らかとなりました。さらに、このオルトフェニレン8量体の動的な振る舞いを詳細に調査したところ、溶液中でこの分子は活発に動き、らせんの巻く方向を繰り返し激しく反転させていることが分かりました。すなわちオルトフェニレンは、溶液中ではあたかもバネのように伸び縮みしながら、らせん反転を繰り返す動的な分子であると考えらます。興味深いことに、このオルトフェニレンから電子一つを取り除くと、この分子の動的特性が劇的に抑制され、らせんの反転速度が約450 倍も遅くなることが分かりました(図3)。この現象は、いわば、らせん分子の「硬さ」がπ電子の出し入れによって制御可能であるということを意味しており、これはπ電子が高密度に組織化された特異な構造ゆえに発現したものと考えられます。

図2. 結晶化におけるキラル対称性の破れ(左)と円二色性(CD)スペクトル(右)

 

図3. オルトフェニレンの電子を取り去る前(オレンジ)と取り去った後(グリーン)のCDシグナルの減衰の違い

 

以上のように、多数のベンゼン環が結合したオルトフェニレン類の合成に初めて成功し、小さな空間に多数の電子か密に含まれる構造に基づくユニークな性質を見出しました。この構造的特徴を利用すれば、電気を良く通す新しい分子ワイヤーの構築なども可能になります。 また、電子の出し入れに応じて「硬さが変わる」というオルトフェニレン分子の動的特性は、分子の機能としてはほとんど例がなく、ナノテクノロジーへも応用できる応答機能分子の新しい構成要素として期待されます。

 

これまでにないπ結合を有する分子の開発

 π共役化合物では、σ結合が強固な分子骨格を形成する一方で、その骨格上を比較的自由に動き回ることのできるπ電子が分子の「機能」を担っています。新しいタイプのπ結合を創り出すことは、すなわち新しい機能性π共役分子の創製につながると期待されます。本研究では、水素化ホウ素化合物の合成研究の過程で、ホウ素-ホウ素間にこれまでにないタイプのπ結合を有する新しいジボラン化合物を見出しました(図4)。

図4. ジボラン化合物の分子構造(左)および中性子線回折により決定した結晶構造(右)

 

このジボラン化合物では、ホウ素原子同士がB-Bσ結合に加えて、二つの架橋水素原子によって連結されています。B-B結合の長さはこれまで報告されたものの中で最も短く、またC-B-B部位は完全に直線構造となっており、アセチレンのようなC≡C三重結合化合物とよく似た分子骨格を有しています。理論計算によると、このジボラン化合物には架橋水素原子を介した二つの「π性の結合性軌道」がHOMOおよびHOMO-1に存在することが示唆されており(図5左)、やはりC≡C三重結合化合物と類似した電子構造を有していると予想されます。実際、単結晶X線電子密度分布解析という分析手法によって、B-B結合周りのπ性の電子を実測することにも成功しました(図5右)。以上のように、このジボラン分子はB-Bσ結合および架橋水素原子を介した二つのπ性の結合という「三重の」結合を有する特異な分子であることが明らかになりました。

 

図5. 理論計算によるジボラン化合物の分子軌道(左)および電子密度分布解析によって実測したB-B結合周りの“π”電子(右)
 

一般的に、ホウ素と架橋水素との結合は、三中心二電子結合という3つの原子で電子2つを共有する結合として記述することができます。しかし最近、上記のジボラン化合物を詳細に調べることで、架橋水素原子を介してホウ素原子間にπ性の結合が形成され得るという、新しい結合化学的側面を見出しました。本成果はホウ素のみならず、広く電子不足化合物の結合化学に重要な知見をもたらすとともに、新しいπ結合に基づく機能物質創製に展開可能であると期待できます。

 

おわりに

 当無機資源部門は今年度4月にスタートした新しい部門です。そこで、今回は当部門のポテンシャルを示す目的で新任教員の最近の研究の例を紹介しました。現在も「π電子機能」をキーワードに、特異な分子骨格や化学結合に着目し、新しい特性を有する分子および分子集合体の開拓を進めています。当グループでは「優れた物性を有する分子」と「精密集積化のための方法論」の開発を通じ、分子を基盤とする材料、いわゆる「ソフトマテリアル」の革新的機能を追求して行きたいと考えています。

 なお、らせん分子についての研究は理化学研究所基幹研究所 グリーン未来物質創製研究領域 機能性ソフトマテリアル研究グループ(相田卓三グループディレクター)において行ったものです。また、ホウ素化合物に関する研究は理化学研究所基幹研究所 機能性有機元素化学特別研究ユニット(玉尾皓平ユニットリーダー)における成果です。共同研究者の皆様に深く感謝申し上げます。

 
参考文献
[1] Redox-Responsive Molecular Helices with Highly Condensed π-Clouds
E. Ohta, H. Sato, S. Ando, A. Kosaka, T. Fukushima,* D. Hashizume, M. Yamasaki, K. Hasegawa, A. Muraoka, H. Ushiyama, K. Yamashita, T. Aida*
Nature Chem. 2011, 3, 68-73.
[2] A Stable Doubly Hydrogen-Bridged Butterfly-Shaped Diborane(4) Compound
Y. Shoji, T. Matsuo,* D. Hashizume, H. Fueno, K. Tanaka, K. Tamao*
J. Am Chem. Soc. 2010, 132, 8258-8260.
[3] Boron-Boron s-Bond Formation by Two-Electron Reduction of a H-Bridged Dimer of Monoborane
Y. Shoji, T. Matsuo,* D. Hashizume, M. J. Gutmann, H. Fueno, K. Tanaka, K. Tamao*
J. Am Chem. Soc. 2011, 133, 11058-11061.
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