HISTORY

2022

  • 2022年12月、苗加彰さんが特任助教に着任しました。
  • 2022年10月、高野さんが卒研生として加わりました。
  • 2022年5月、福士結香さんが第12回日本光合成学会年会で優秀発表賞を受賞しました。おめでとうございます。  
  • 2022年4月、修士課程に猪川君、上野君、前川君が入学しました。  
  • 2022年3月、卒研生2名と修士5名が無事に修了し、青柳君、朝比奈君、上村さん、宋君、時田君が社会人として巣立っていきました。Chauさんは吉田啓亮研の博士課程に進学、大保古君は東大大学院に進学しました。   特に今年の修士の学生さんは入学以来ずっとコロナ禍に苦しめられてきましたが、本当によく頑張りました。最後に皆で息を止めて記念撮影をしました。巣立つ人たちも残る人たちもこれからも頑張ってください。
  •   コロナ禍が明けたら、みんなで集まってお祝いしようね!
  • 2022年3月、第15回クラミドモナス研究会において秋山健太郎君と朝比奈佑磨君が学生優秀発表賞を受賞しました。おめでとうございます。
  • 2022年2月、ライフエンジニアリングコース修士論文発表会において、朝比奈佑磨君、上村柚紀子さん、宋叡陽君が優秀修士論文発表賞を受賞しました。当研究室4年連続の受賞です。おめでとうございます。
  • 2022年1月、町田亮人君がライフエンジニアリングコース論文計画論第一(中間発表会)において優秀プレゼンテーション賞を受賞しました。おめでとうございます。

2021

  • 2021年12月、関口敬俊君が生体エネルギー研究会第47回討論会で2年連続で優秀発表賞を受賞しました。おめでとうございます。  
  • 2021年9月、吉田啓亮助教が化学生命科学研究所・田中教授の研究室の准教授に昇任して、久堀が15年間座っていた場所(R1棟816号室)に移動しました。おめでとうございます。  
  • 2021年7月、近藤久益子さんが特任助教に着任しました。
  • 2021年5月、関口敬俊君が第11回日本光合成学会年会で優秀発表賞を受賞しました。おめでとうございます。  
  • 2021年4月、修士課程に町田君、高橋さんが進学しました。  
  • 2021年3月、卒研生3名と修士6名が無事に修了し、坂本君、高野さん、傅さん、福井さん、森下君、吉見さんが社会人として巣立っていきました。町田君と高橋さんは修士課程で、福士さんは博士課程でがんばります。特任助教の見原さんが巣立ちました。   この1年はコロナ禍でイベントを何もやらずに過ごしてきたので、最後は息を止めて青空の下で記念撮影をしました。巣立った人たちも残った人たちもこれからも頑張ってください。
  • 2021年3月、森下純君が第14回クラミドモナス研究会でBest Poster Awardを受賞しました。おめでとうございます。
  • 2021年2月、高野和歌子さんと傅奈恵さんが2021年度ライフエンジニアリングコース修士論文発表会で優秀修士論文発表賞を受賞しました。当研究室3連覇達成です。おめでとうございます。

2020

     
  • 2020年12月、日本生体エネルギー研究会第46回討論会において秋山健太郎君が口頭発表優秀賞、関口敬俊君が学生口頭発表優秀賞を受賞しました。
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  • 2020年11月、当研究室の野亦次郎助教が、2020年11月22日に胆管癌のため逝去されました。ここに謹んでお知らせ致しますとともに、故人のご冥福をお祈りいたします。
  • 2020年10月、3年生が卒研仮配属となり、大保古君と時田君が加わりました。  
  • 2020年9月、秋山健太郎君が公益社団法人日本生物物理学会第58回年会において学生発表賞を受賞しました。  
  • 2020年9月、秋山健太郎君が公益社団法人日本生化学会第93回大会において若手優秀賞を受賞しました。  
  • 2020年8月、大学の規制レベルが緩和され、学生が週3日実験できるようになりました。首都圏の感染拡大は収まっていないので、リスク回避に最大限の注意を払っています。  
  • 2020年6月、COVID-19の新規感染者が一時的に収まり、学生の出校必須研究を開始しました。まだ、週2日の出校なのでできることは限られています。  
  • 2020年5月、見原翔子さんが公益財団法人日本科学協会の2019年度笹川科学研究奨励賞を受賞しました。  
  • 2020年4月、見原翔子さんが特任助教に着任しました。  
  • 2020年4月、新学期とはいえ、緊急事態宣言で大学は休校状態です。自宅でじっとしてコロナ禍が過ぎ去るのを待つ日々ですが、みんな体調管理に気をつけましょうね。セミナーをオンラインで開催しています。
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  • 2020年4月、修士課程には青柳君、朝比奈君、上村さん、宋君が進学し、チャンさんが入学しました。  
  • 2020年3月、修士3名が無事に修了し、中村君が社会人として巣立っていきました。秋山君と関口君は引き続き博士課程でがんばります。横地君が博士学位を取得し、社会人として巣立ちました。稲辺君は博士満期退学で神戸大に研究員として就職しました。   今年はコロナ禍で3月のイベントがみんな中止になってしまいました。寂しいお別れですが、巣立った人たちはこれからも頑張ってください。
  • 2019年2月、研究員の見原翔子さんが令和元年度手島精一研究賞博士論文賞を受賞しました。おめでとうございます。
  • 2020年2月、秋山健太郎君と中村俊吾君が2020年度ライフエンジニアリングコース修士論文発表会で優秀修士論文発表賞を受賞しました。おめでとうございます。

2019

  • 2019年12月、修士の中村俊吾君が光合成科学合同セミナーで最優秀賞を受賞しました。おめでとうございます。
  • 2019年10月、吉田啓亮助教が竹田若手研究者賞を受賞しました。おめでとうございます。
  • 2019年10月、3年生が卒研仮配属となり、高橋さん、町田君、吉見さんが加わりました。
  • 2019年9月、坂本一馬君が東工大すずかけ台キャンパスで開催された第13回クラミドモナス研究会で学生優秀発表賞を受賞しました。また、宮崎で開催された第57回日本物理学会年会のABiSイメージコンテストで若林さん達の細胞レンズ効果の動画がインテリジェンス部門賞を受賞しました。おめでとうございます。
  • 2019年7月、吉田啓亮助教が東工大の2019年度挑戦的研究賞・末松特別賞を受賞しました。おめでとうございます。
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  • 2019年6月、横地佑一君と傅奈恵さんが東工大すずかけ台キャンパスで開催された日本生化学会関東支部例会で優秀発表賞を受賞しました。おめでとうございます。
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  • 2019年4月、新しい元号が決まったので、今年の集合写真ではみんなで令和の「レ」をやってみました。
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  • 2019年4月、修士課程には傅さん、福井さん、高野さんが進学し、福士さんと森下君が入学しました。3月に博士を修了した見原さんが研究員に着任しました。また、鈴木俊治さんがエネルギー変換プロジェクトの特任教授として加わりました。
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  • 2019年3月、卒研生1名と修士4名が無事に修了し、安掛君、和泉君、丹野君、西山さん、法元君が社会人として巣立っていきました。杉浦研究員が退職し、大阪大学の永井研に移籍しました。Frederic君が退職しました。
  • 2019年3月、高野和歌子さんが優秀な卒業研究発表を行った学生に授与される「生命理工同窓会学士論文優秀発表賞」を受賞しました。おめでとうございます。
  • 2019年2月、安掛寿紀君と傅 奈恵さんが生命理工学院の優秀卒業生に授与される「高宮賞」を受賞しました。おめでとうございます。
  • 2019年2月、和泉諒之君が平成30年度ライフエンジニアリングコース修士論文発表会で優秀修士論文発表賞を受賞しました。おめでとうございます。
  • 2019年1月、吉田啓亮助教が平成30年度大隅良典基礎研究支援対象に採択されました。おめでとうございます。

2018

     
  • 2018年11月、3年生が卒研仮配属となり、青柳君、朝比奈君、宋君、上村さんが加わりました。
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  • 2018年9月、吉田啓亮助教が第15回日本植物学会学会賞奨励賞を受賞しました。おめでとうございます。
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  • 2018年6月、稲辺宏輔君が埼玉大学で開催された日本生化学会関東支部例会で優秀発表賞を受賞しました。おめでとうございます。
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  • 2018年4月、生命理工学院ライフエンジニアリングコース博士課程に久次さんが進学しました。修士課程には秋山君、坂本君、中村君の3名が進学しました。また、関口君が入学しました。卒業研究には、安掛君、高野さん、福井さん、傅さんが加わりました。
  • 2018年3月、吉田啓亮助教が平成30年度日本植物生理学会奨励賞を受賞しました。おめでとうございます。
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  • 2018年3月、卒研生1名と修士4名が無事に修了し、新藤君、今村さん、岩田君、西脇さんが社会人として巣立っていきました。深谷技術支援員が科研費プロジェクト終了に伴って退職しました。
  • 2018年2月、DNAマレイミドの研究が平成29年度手島精一記念研究賞(発明賞)を受賞しました。
  • 2018年2月、秋山健太郎君が平成29年度高宮賞を受賞しました。おめでとうございます。
  • 2018年2月、研究室OBの野島達也氏(現中国・東南大学准教授)の研究がYahoo News のトップで紹介されました。
  • 2018年2月、植木元研究員と若林准教授のPNAS論文が科学新聞に紹介されました。
  • 2018年1月、研究室同窓会が初めて開催されました。久々に元気な顔を沢山見ることが出来て、嬉しかったです。

2017

  • 2017年6月、井須さんが復職しました。また、宜しくお願いします。東京大学大学院工学系研究科の鈴木俊治さんが、新学術領域研究「新光合成」の研究推進のため、本学特定教授に就任しました。宜しくお願いします。
  • 2017年4月、生命理工学院ライフエンジニアリングコース博士課程に稲辺君と横地君が進学しました。修士課程には和泉君、西山さん、丹野君、法元君の4名が進学しました。卒業研究には、生命理工学部から秋山君、坂本君、新藤君、中村君が加わりました。久々に男女比が男性優位になりました。
  • 2017年3月、修士3名が無事に修了し、中島さんが社会人として巣立っていきました。肥後特任助教と円技術支援員がCRESTプロジェクト終了に伴って退職しました。
  • 2017年2月、植木元研究員、井手元研究員が共同筆頭著者となって発表したPNAS論文が、平成28年度手島精一記念研究賞研究論文賞を受賞しました。若林准教授との初めての共著論文です。
  • 2017年2月、吉田啓亮助教が東工大・平成28年度「研究の種発掘」支援に採択され、合わせて平成28年度末松賞を受賞しました。おめでとうございます。

2016

  • 2016年12月、ボルボックス大好きの植木さんが退職しました。しばらく、ニューヨーカー(?)です。頑張ってください。
  • 2016年11月、ベルギー・モンス大学で学位を取ったばかりのFrederic君が日本学術振興会外国人特別研究員として2年間の予定で私たちの研究室に加わりました。
  • 2016年10月、技術員の井須さんが退職しました。
  • 2016年7月、基礎生物学研究所皆川純教授を代表として申請していた新学術領域研究「新光合成」が採択され、計画研究として新たな研究がスタートしました。
  • 2016年4月、東京工業大学の研究改革により、私たちの研究室は科学技術創成研究院化学生命科学研究所の研究室になりました。科学技術創成研究院には、旧研究所の他、生命系の研究ユニットという新しい研究室も複数入っています。これからは、これらの研究室や生命理工学院ともさらに連携を深めて研究を加速します。
  • 2016年4月、生命理工学院ライフエンジニアリングコース博士課程一期生として見原さんが進学しました。修士課程には久次さん、今村さん、岩田君の3名が入学し、西脇さんが進学しました。卒業研究には、生命理工学部から和泉君、西山さん、丹野君、法元君が加わりました。さらに、CREST技術支援員として円さんが加わりました。
  • 2016年3月、修士4名が無事に修了し、東京、横浜、栃木、大阪と全国各地にそれぞれの道に向かって巣立っていきました。マナルさんは卒業研究を終え、秋からの米国留学に向けていったん帰国しました。まさに、国際人です!
  • 2016年2月、若林准教授と学部時代から苦楽をともにしてきた井手君が理研の研究員として神戸に巣立っていきました。これからますますの活躍を期待しています。薄口を楽しみつつ、新天地でも頑張って成果を上げてください。
  • 2016年2月、化学環境学専攻の修士論文発表会で、見原さんが優秀修士論文賞を受賞しました。おめでとうございます。

2015

  • 2015年10月、井須さんが復職しました。また、宜しくお願いします。
  • 2015年5月、卒研から修士、博士、特任助教と11年以上ラボを支えてくれた原君が、生命理工学研究科分子生命科学専攻一瀬研究室 の助教として栄転しました。おめでとうございます。新天地でも頑張って成果を上げてください。
  • 2015年4月、化学環境学専攻には、中島さんが進学、稲辺君が修士に入学、分子生命科学専攻には、横地君が進学しました。卒業研究には、生命理工から西脇さんとマナルさんが加わりました。
  • 2015年3月、今年も修士4名が無事に修了して、巣立ちました。昨年に続き理工系企業に就職した人がいません。それぞれ、自分の選んだ道で頑張ってください。杉浦君は無事に学位審査も終わり、4月からはCREST研究員です。
  • 2015年1月、化学環境杯で、念願の横浜スタジアムでの決勝に臨みました。惜しくも敗れましたが、価値ある準優勝です。

2014

  • 2014年10月、日本学術振興会外国人特別研究員として、2年間研究していたFelix君が旅立ちました。これからパリで光合成の研究をします。彼の国際性、是非見習いましょう。
  • 2014年10月、井須さんが退職しました。
  • 2014年10月、深谷さんがCREST技術補佐員としてプロジェクトに加わりました。
  • 2014年4月、杉浦君がCRESTの技術員としてプロジェクトに加わりました。化学環境学専攻には、中舛さん、原さん、見原さんの3人の女性が修士に入学、分子生命科学専攻には、西牧君、若尾さんの2名が進学しました。卒業研究には、生命理工から中島さんと横地君が加わりました。さらに、中央大学の植木研究員が資源研特別研究員としてこちらでも研究することになり、女性の比率がぐっと高くなりました。
  • 2014年3月、修士4名が修了しました。理工系企業に就職した人がいませんが、それぞれ、自分の選んだ道で頑張ってください。CREST研究員の砂村君が企業の研究所に就職のため、退職しました。これからは、つくばで頑張ります。今年も青葉台の「わん」で歓送会を行いました。
  • 2014年3月、スイスに2ヶ月間、武者修行に行っていた井手君が帰国しました。逞しくなりました!うん。

2013

  • 2013年12月、近藤さんがCREST研究員としてプロジェクトに加わりました。
  • 2013年4月、砂村君がCREST研究員としてプロジェクトに加わりました。また、片山君と吉中君が修士に入学、卒研からの進学の2人と合わせて修士1年は4人です。一方、卒業研究には、生命理工から西牧君と若尾さんが加わり、神奈川大学との共同研究事業で中舛さんも仲間になりました。今年は、どんな展開があるのか楽しみです。
  • 2013年3月、今年は、修士5名、博士2名が修了しました。博士の吉田君は、これから京都で頑張ります。京都の伝統と格式をしっかりと学んでくださいね。修士の4名は、それぞれ企業で活躍する予定です。社会の荒波にしっかりと揉まれて成長してください。小板橋君は博士に進学、砂村君はCREST研究員として頑張ってくれます。青葉台の「わん」で恒例の歓送会を行いました。

2012

  • 2012年11月、待望の准教授・若林憲一さんが着任しました。いよいよフル体制です。新しい潮流が生まれるように頑張りましょう。
  • 2012年11月、日本学術振興会外国人特別研究員として、ドイツからFelix君が来日しました。これから2年間、ATP合成酵素の研究で頑張ってくれる予定です。研究室全体が国際化するFelix効果を狙っています。早速、11月からセミナーが国際化しました。ところで、国際化と言えば、忘れてはならないのは、6月から8月まで東工大の国際力強化事業で香港からChan君が短期留学したことです。みんなで英会話に励んだ夏でした。
  • 2012年4月、新しい助教として吉田啓亮君が、CRESTの研究員として肥後君が加わりました。また、堀内さんが修士に入学、ラボの4年生からの進学と合わせて修士1年は2人です。力を合わせて頑張ってください。卒研生として竹場君と米嶋君が加わりました。3ヶ月間、企業にインターンシップに出かけていた原怜君が特任助教に復帰しました。と言うわけで、新年度の研究室メンバーは、22名です。
  • 2012年3月、今年はラボを離れる人が少ない年です。でも、低層棟に16年いた菅野准教授が日本女子大に教授として異動します。また、中村君と崎川さんが卒業しました。あざみ野の中華料理屋さんで盛大に歓送会をやりました。

2011

  • 2011年11月、助教の紺野君が金沢大学のテニュアトラック准教授としてラボを離れました。彼は、学生時代から足かけ12年に渡って研究室の運営に尽力してもらいました。この間に、ERATOがあり、特定領域研究があり、ラボの引越があり、とまさに研究室の激動の期間だったと思います。ご苦労様。そして、ありがとう。これからは、自分の研究室の歴史を刻んでください。
    ところで、9月から3ヶ月弱、カナダに短期留学していた菅野准教授が帰国します。土産話をお楽しみに。
  • 2011年10月、久堀の提案がめでたく採用されて、科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業(CREST)のプロジェクトがスタートします。研究テーマは「ハイパーシアノバクテリアの光合成を利用した含窒素化合物生産技術の開発」というもので、これまでの基礎研究を生かした応用研究を目指しています。皆さん、地球を救うために頑張ってくださいね。
  • 2011年7月、原怜君が、資源研のアライアンス特任助教として採用され、引き続きこの研究室で研究を続けることになりました。
  • 2011年4月、小板橋君、土屋君、松岡君、森田君の修士4名が入学、ラボの4年生からの進学の3人と合わせて修士1年は7人の大所帯です。一方、卒研生として打越さんが加わりました。新年度の研究室メンバーは、24名となりました。これでも少し所帯が小さくなったので、全員の居室を2階にすることが出来ました。節電も厳しいですし、これから暑い夏と寒い冬を乗り切らなくてはなりません。震災に負けずに頑張りましょう。
  • 2011年3月、地震の混乱で卒業式・学位授与式も中止になってしまいました。修士修了の6人のうち、小田原君、木田君、福島さん、山内君、渡辺君が卒業です。杉浦君は、博士に進学してこれからも研究を頑張ります。また、吉田研時代から技術補佐員をしてくれていた大坂谷さんが大岡山に異動になりました。5年間頑張ってきた金君は学位を取って母国に帰りました。もう一人の博士・原君はまだ研究室に残って、レドックス研究を頑張ってくれます。
  • 2011年3月11日、宮城県・福島県沖を震源とするM9.0の大地震が起こり、東北地方沿岸で地震と津波で死者1万人以上と言われる大災害になりました。被災された皆様には心からお見舞い申し上げます。また、亡くなられた沢山の方々のご冥福をお祈り申し上げます。また、この地震の被害が東京電力福島第一原子力発電所の事故を引き起こし、日本で最大の原子力発電所事故になりました。いつ鎮静するのかわからない状況です。福島の皆さんはじめ、近隣の皆さんが一刻も早く安全に暮らせるようになることを祈ります。
    東京電力の重要な発電所が失われたため、関東圏は深刻な電力不足に陥りました。これから、耐乏生活が続きます。みんな、工夫して何とかこの事態を乗り切りましょうね。

2010

  • 2010年10月、化学環境学専攻の野球大会のリーグ戦を勝ち抜いた我が「REDOX」は、全球児あこがれの横浜スタジアムで渡辺研との決勝戦に臨みました。両チームともエースの出来が非常によくて、白熱した投手戦になりました。両投手ともあい譲らず、試合は0対0の時間切れ引き分け、両チーム優勝です。おめでとう。直前まで力を合わせてお揃いのTシャツを用意してくれたみんな、応援に駆けつけてくれたみんな、そして、最後の試合まで頑張ってくれたみんな、どうもありがとう。
  • 2010年6月、研究員の小林さんが退職、7月には長くラボを支えてくださった篠原さんが退職されました。お二人には本当にお世話になりました。どうもありがとうございました。
  • 2010年4月、新しい助教として野亦さんが名古屋から着任しました。また、養父さんが研究室の補佐員として加わってくださいます。さらに、新しい修士として天野さん、卒研生として潮田君、武山君、塚本君、中村君の4名が加わり、賑やかに新年度がスタートしました。
  • 2010年3月、いよいよ別れの季節です。修士修了の8人のうち、五味さん、中根君、中村君、畠山さん、前川さん、前田さんの6人が卒業です。また、京都産業大学に異動した吉田先生の研究室が出来るので、助教の元島君も退職して移りました。同時に、宮崎さんも京都に移りました。さらに、長くレドックス研究で活躍してくれた本橋君が、京都産業大学に新しい研究室を持ちました。
  • 2010年1月、博士研究員の藤利君が退職しました。彼のユニークさは、きっと忘れません。2月は修士論文発表会に明け暮れて、8人が終了しました。また、ただ一人の卒研生の崎川さんの卒業研究発表も無事に終わりました。

2009

  • 2009年12月、吉田研から引き継いだ野島君が学位を取りました。彼は、春からは生命に新しくできる田口研究室の博士研究員です。
  • 2009年10月、新しい准教授としてこれまで助教で頑張ってきた菅野靖史さんが昇任しました。これからは、久堀・菅野研です。どうぞよろしくお願いいたします。博士課程の西出君、Zohoraさん、 Khan君、そして修士課程の西岡君は9月で修了して巣立ちました。入れ替わりに、大坂谷君が博士課程に入学しました。
  • 2009年8月、ようやく資源化学研究所低層棟の1階と2階に引っ越しました。皆さん、ご苦労様。研究室の引越は、何度やっても大変です。荷物は増える一方ですし・・・。これからは、1階と2階を使った立体的な暮らしをしなくてはなりません。足腰が強くなりそうです。新しい器に入って、新しい気持ちで頑張りましょう。
  • 菅さんと永瀬君が修士を修了しました。杉浦君と福島さんは分子生命科学専攻に、小田原君は物質電子化学専攻に進学しました。久堀が資源循環研究施設教授に昇任し、化学環境学専攻に異動したので、小田原君が物質電子化学専攻の最後の学生です。生命理工学部からは崎川さんが卒研生として加わりました。東大・寺島研から吉田君がPDとして加わりました。また、資源循環研究施設の研究室の助教の菅野さん、学生の西出君、Zohoraさん、Khan君、西岡君、五味さん、前川さん、吉田君、木田君、矢島さん、山内君、渡辺君が加わったので、一気に大きなグループになりました。
    さらに、旧吉田研の人たちも加わっているので、総勢37名の大所帯です。
  • 2009年春、最大の出来事は、これまで14年間一緒に講座を運営してきた吉田先生が定年でお辞めになったことです。生物資源部門が文字通り解散になるため、これまでの卒業生に声をかけてOB会を開きました。120人が集まり、とても楽しい会を開くことができました。
  • 2009年新春、研究補佐員として新たに井須さんが加わってくれました。これまで研究室を陰に日向に支えてくれた補佐員の村上さんは3月からお休みです。でも、井須さんとともにみんなで頑張りましょう。

2008

  • 2008年春、伊里君、杉森君、丸井君の三人が修士を修了して巣立って行きました。金君は博士課程に入りました。砂村君、畠山さん、中根君の三人に加えて、中村君と前田さんが修士課程に入学しました。また、杉浦君、福島さん、小田原君が生命理工学部から卒研生として加わり、学生数は一気に12人に増えました。グループ全部で19人という所帯になりました。

2007

  • 2007年冬、11ヶ月の研究を終えて、エリク君がドイツに帰国しました。彼は、一分子観察で非常に面白い結果を残してくれました。これから、研究室の新しい研究のタネになりそうです。
  • 2007年春、菱谷さんが修士を修了して巣立って行きました。原君は博士課程に入りました。4月からは砂村君、畠山さん、中根君という3人の元気な卒研生が加わりました。修士1年は進学した永瀬君と新しく加わった菅さんです。また、2月から研究員になったエリク君に加えて、4月から小林さんと本橋君も加わり、とてもにぎやかになりました。また、駒澤大学の持丸さんと早稲田大学の岡崎君が、それぞれ共同研究をするために、1年間研究室のメンバーに加わりました。

2006

  • 2006年冬、パトリック君が年末に就職すると言うことで帰国してしまいました(残念)。彼の果敢な生き方には教えられることが多かったと思います。入れ替わりのように、2007年2月にドイツからエリク君がポストドクとしてやってきました。彼には、ATP合成酵素の回転制御の研究で頑張ってもらいます。
  • 2006年春、藤井君、白石さん、菊地君が修士を修了してそれぞれ旅だって行きました。また、松田さんが神奈川大学のPDとして研究室を離れることになりました。まだ、共同研究は続けますが、長い間お疲れ様でした。4月になって、永瀬君が卒研生として、伊里君、金君、杉森君が修士課程に加わりました。

2005

  • 2005年秋、JSPS fellowとしてパトリック君がイギリスからやってきました。これから2年間、一緒に研究します。皆、これを機会に英語力アップ頑張りましょう!
  • 2005年夏、資源研の助手として紺野君が着任しました。頑張れ!また、新しく博士研究員として藤利君が加わりました。村上さんが技術補佐員になりました。秋になると、またまた新戦力が加わる予定です。だいぶ大きなグループになってきました。これからどんな展開があるのか、とても楽しみです。
  • 2005年、原君とともに、菱谷さんが修士課程に加わりました。また、卒研生として丸井君が加わりました。この春の最大の出来事は、なんといっても吉田研助手を長年勤めた宗行さんが中央大学に助教授として転出したことです。何ともさびしくなりました。

2004

  • 2004年春、さらに卒研生として原君が加わりました。また修士には、前の年の卒研生二人に加えて、菊地君が入りました。年が明けて3月に松田さんがシアノバクテリアの抗酸化ストレスシステムの研究で久堀研究室二番目の理学博士となりました。おめでとう!松田さんは、そのまま研究員として研究を続けています。

2003

  • 2003年、早川君とともに、信田君、溝田さん、中村君の三人が修士課程に加わりました。また、卒研生として藤井君、白石さんが加わりました。中西洋一君が大学助手に就職して、久堀研究室は総勢12人となりました。秋には、ERATOの研究員として房田君が加わりました。

2002

  • 2002年、早川君が卒研生として、生明君が修士課程として入りました。松田さんが、久堀研究室二人目の博士課程の学生になりました。早川君には、さらに材料を広げて緑藻クラミドモナスのチオレドキシンの研究をしてもらいました。松田さんがシアノバクテリアの研究を行っているので、いろいろな生物を飼うチャンバーが必要です。ERATOの方では、研究員として中西洋一、中西華代両氏が、研究補佐員として小山さんが加わりました。

2001

  • 2001年、山崎君と市村君が修士課程に入りました。山崎君はチオレドキシンの標的酵素、市村君にはATP合成酵素を研究してもらいました。
    チオレドキシンアフィニティークロマトグラフィーの研究を、論文として発表することができました。そして、10月、吉田賢右教授を統括責任者とする科学技術振興事業団創造科学技術推進事業(ERATO)「ATPシステムプロジェクト」がスタートし、久堀はエネルギー変換システム調節系グループの研究グループリーダーになりました。また、本橋氏がこのグループの最初の研究員となりました。年が明けて、3月に紺野君がATP合成酵素の調節機構の研究で久堀研究室最初の理学博士となりました(おめでとう!!)。紺野君は、久堀グループの研究員になって研究を続けています。

2000

  • 2000年、近藤さんとともに金山君、細谷、坂井さんの三人が修士課程に入学しました。また、卒論生として山崎君と野崎さんが加わりました。学生が増えて、研究テーマもATP合成酵素とチオレドキシンから、チオレドキシンの標的酵素までどんどん広くなってきました。本橋氏が、CREST研究員としてチオレドキシンの研究に加わりました。

1999

  • 1999年、ガンマサブユニットの研究で多くの成果をあげた淀川君が卒業するのと入れ替わりに、紺野君が久堀研究室最初の博士課程の学生として入りました。彼には、淀川君の研究を引き継いでもらいました。この年は、杉山君が修士課程に入学しました。彼には、酵母を使った葉緑体ATP合成酵素の発現系に挑戦してもらいましたが、失敗。でも、葉緑体のエネルギー化とATP合成酵素の構造変化の研究できっちり修士の研究をまとめました。また、近藤さんが卒業研究に来たので、長いこと思い描いていたチオレドキシンアフィニティークロマトグラフィーの研究を開始しました。また、卒研生の小山さんがチオレドキシンのモノクローナル抗体を作ったのも、この頃です。

1998

  • 1998年は、菊池君と山本君が修士課程に入りました。菊池君には阻害活性の強い葉緑体イプシロンサブユニットの機能に特に重要な残基の決定を、山本君にはチオレドキシンと酵素の相互作用の研究をしてもらいました。

1997

  • 1997年には、淀川君が大学院に入りました。また、二人の卒論生、小池さんと小松さんが加わりました。ちょうどその頃、研究室でようやく葉緑体ATPaseのサブユニットを好熱菌ATPaseのサブユニットと組み合わせることで機能解析をする実験系が完成していたので、淀川君にはガンマサブユニットの、卒研生の二人にはイプシロンサブユニットの研究をしてもらいました。この年の秋に、Boyer博士とWalker博士がノーベル化学賞をもらいました。新聞社が問い合わせの電話をしてきたり、解説記事の依頼が来たりと、なかなか忙しい年でした。さらに、スイスからMichael Stumpp君が研究生として加わりました。Michael君がやって来て、彼に葉緑体チオレドキシンの発現系を作ってもらい、酸化還元酵素の研究をスタートしました。

1996

  • 1996年4月、徳永君が角田君と一緒に大学院に入りました。徳永君には、ホウレンソウ葉緑体ATP合成酵素の発現系の構築に挑戦してもらいました。1996年は、吉田研究室にとっては歴史的な年で、秋に野地博行君がATPaseの回転実験に成功したのです。この研究は、翌年3月のNatureに掲載されました。
  • 4月がやってきて、東工大の最初の新人・角田君が卒論生として私と一緒に研究を始めました。彼には、葉緑体の遺伝子発現の研究の礎を作ってもらい、今も研究室の財産になっているホウレンソウの全RNAは彼が取ってくれたものです(角田君は、2005年8月、胃ガンのため早世されました。とても残念です。合掌)。

1995

  • 1995年1月1日 久堀が東京工業大学資源化学研究所生物資源部門・吉田賢右教授の研究室の助教授に着任したところから、この研究室の歴史は始まりました。久堀が前任校の横浜市立大学文理学部の助手だったときに、修士1年の阿部君が一緒に葉緑体ATP合成酵素の研究をしていたので、彼が最初は唯一の大学院生でした。着任してすぐの1月17日に阪神淡路大震災が起こり、3月には地下鉄サリン事件と、晴れがましく研究室を始めたつもりだったのに、非常に暗い年でした。

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