Research

はじめに

 山口・黒木研究室では、エネルギー材料・デバイスを中心に、医療、水不足など2050年に深刻となる世界的な課題解決のため、膜や触媒、電池など、新規機能材料・デバイスの設計開発を行っています。

 2050年には世界のエネルギー消費は現在の180%となりますが、2050年までに世界全体のCO2排出量を実質ゼロにしなければなりません。産業や生活における省エネ化の推進はもちろん、2050年には、再生可能エネルギーを大幅に利用した社会となります。場所と時間が生産と消費で大きく異なり、気象条件に左右される再生可能エネルギーを大規模に使うため、水素キャリアなどを利用する高度なエネルギー変換技術が必要となります。具体的には、水の電気分解(水電解)によって再生可能エネルギーを水素に変換し、貯蔵・輸送し、必要な場所・時間に燃料電池により電気を供給する技術が必要です。我々は、本研究室の得意とする新しい電解質膜や電気化学触媒を開発するとともに、得意とする電池技術、電解技術を進め、次世代の水電解および燃料電池を設計・開発を進めています。また、材料・デバイスの開発にとどまらず、その世界規模での社会への適用性までを考え、明るい未来社会を創造する研究を行っています。

 また、エネルギー問題だけでなく、後期高齢化社会では医療費の問題が深刻になります。家庭を病院にする病気診断膜の開発を行っています。さらに、世界的な水不足に陥ることも予想されており、水処理膜で最も致命的な問題である膜の汚れによる水透過性の低下(ファウリング現象)を抑制する、汚れない膜(アンチファウリング膜)の開発を進めています。これら機能膜の開発により、よりよい未来社会の創造を目指しています。

 また、試行錯誤的に材料開発を行うのではなく、実験にインフォマティクス・シミュレーション・モデリングなどの情報工学や計算技術を組み合わせ、未来社会に必要となる技術、そのためのデバイス、その性能を実現するための材料および分子を短期間に合理的に設計するアプローチをとっています。

 分子からデバイス、社会および地球までを繋げて考える材料機能のシステム設計というアプローチも身につけながら、研究を進めています。

 具体的には、以下の「水電解・燃料電池材料およびシステムの設計・開発」と「医療問題や水不足問題を解決する機能膜の開発」を進めています。


研究内容

水電解・燃料電池材料およびシステムの設計・開発

水電解・燃料電池材料及びシステム的設計・開発


 水電解としては、再生可能エネルギーの大きな出力変動に対応でき、効率が良いことが重要であり、水溶液型から電極間距離を短くできる薄い電解質膜型に開発が移りつつあります。膜型水電解においては、従来広く研究されてきたH+が伝導する電解質膜を用いる酸環境での水電解に対して、近年はOH-イオンが伝導するアニオン交換膜型水電解の研究がより注目を集めています。従来のプロトンが伝導する酸型の水電解では、触媒だけでなく膜と電極を抑える集電体やプレートにも貴金属しか使用できないのに対し、OH-イオンが伝導するアルカリ環境のアニオン交換膜型水電解では、貴金属だけでなく殆どの卑金属が安定であり使用可能です。水電解技術の世界的普及を考えると、資源に限りがある貴金属を使用しない水電解デバイスの開発が必要であり、アニオン交換膜型水電解が注目されている理由です。しかしながら、アルカリ中ではポリマーは分解しやすく、高耐久なアニオン交換膜が存在しませんでした。

 我々はアルカリ中でのアニオン交換膜の分解機構を解明し、分解しないアニオン交換膜の開発に成功しました。また、開発したアニオン交換膜を水電解に応用したところ、純水の供給で高い耐久性があるアニオン交換膜型水電解に世界で初めて成功しました。膜ができれば、次は卑金属触媒の開発ですが、卑金属触媒の元素は種類が多く、全ての組み合わせを試すことは難しいです。我々は金属酸化物結晶と情報工学的アプローチを用い、短期間に、貴金属を超える卑金属触媒の開発に成功しました。これら膜と触媒を合わせ、貴金属を用いない、高性能な水電解の開発にも成功しています。もちろん、これらの成功は最初の一歩に過ぎません。今後、より高い性能を求め、膜、触媒、さらに膜と触媒を組み合わせた電解セルの設計・開発を分子からデバイスまで繋げて進めていきます。

 固体高分子形燃料電池は燃料電池自動車や家庭用電源として燃料電池の中では最も広く実用化されていますが、そのさらなる普及には、膜、触媒、その接合体電池のさらなる高度化が必要となっています。

 我々は世界で初めて、数十nmの多孔膜細孔中に電解質ポリマーなどの異なるポリマーを充填すると新しい機能が発現することを発見し、細孔フィリング膜として提唱しました。今では、殆どの燃料電池自動車には、この細孔フィリング型の電解質膜が使用されています。我々の研究室では更に高度化するために、燃料電池の計算モデリングから設計した多孔膜と電解質ポリマーの組み合わせによる新しい細孔フィリング膜を開発しています。電解質膜の開発でとどめず、高い燃料電池としての性能を引き出すための電解質膜の設計・開発が重要です。また、燃料電池触媒に関しても、従来とは異なる発想で、カーボンを使用しないナノ粒子連結触媒の開発を進めています。この触媒は、白金合金ナノ粒子が連結した数珠状ネットワークで形成される中空カプセル構造を持ち、導電性カーボンを用いなくても電子伝導性が得られる、通常の触媒とは大きく異なる構造を有します。当触媒は市販の触媒と比べて約10倍の高い活性を発現します。また、起動停止などの燃料電池運転中に腐食するカーボン担体を使わないため、優れた耐久性も示します。この様に、膜も触媒も、我々オリジナルの考えで成功しつつありますが、未来社会を築くためには、これら膜や触媒材料も、膜と電極を接合した電池自身も、さらに高度化しなければなりません。


医療問題や水不足問題を解決する機能膜の開発


 2050年にはアフリカ諸国を除く世界中で後期高齢化問題が顕在化し、医療費負担が重くなり、医療インフラの問題や感染症の拡大も含め、安全で簡便な医療診断が必要となります。病気になれば、我々の体内ではシグナルが出ますが、微量であっても、そのシグナルを簡便に検知できれば、自身が病気であるかどうかを診断できます。家を病院にする試みですが、病気を診断する機能膜の開発を進めています。我々は、特定の標的分子だけに応答して膜細孔が開閉する人工膜や、抗原-抗体反応を利用した優れた病気診断膜センサーを開発することに成功しています。細孔内に抗体を高密度に固定し、体液を透過することで、短時間に、より高い感度で病気シグナルを検知できます。実験と計算を利用し、様々な病気診断に展開しようと進めています。

 2050年のもう一つの問題として水不足が挙げられます。世界中で豊かな暮らしが当たり前になり、必要な水の量は現在の3倍以上となることが予想されています。世界人口の4割の人が水不足に不満を感じ、3%の人は飲み水に困ることが予想されています。水処理としては世界的に分離膜の利用が進んでいますが、分離膜の実用化には一つだけ問題があります。膜による水処理を続けると、膜細孔表面で水に含まれる様々な物質が徐々に吸着し、膜細孔を塞ぎ性能が著しく低下する問題です。我々は、膜細孔表面を、長さと本数を精密に制御した血管表面に似たポリマーで覆う技術を開発しました。膜細孔への不純物の吸着を抑制する事が可能です。しかしながら、河川や湖沼、海水の水はそれぞれ異なり、どの様に精密に制御すると、これらの吸着が長期に抑制できるのか分かっていません。高分子や膜の技術だけでなく、情報工学も利用し、この難しい課題にチャレンジしています。汚れない(アンチファウリング)分離膜ができれば、水処理は極めて効率的になり、多くの国できれいな水が簡便に製造できるはずです。

 これら機能膜開発は始まったばかりの研究領域ですが、独自技術を活かしながら、よりよい社会を目指し、誰も実現できなかった新しい研究領域の開拓に挑戦しています。


材料の効率設計のための計算技術の活用

 さらに、上記のような材料の迅速な開発には、実験だけでなく、インフォマティックス、材料シミュレーション、モデリングなどの計算技術が有用です。一昔前までの材料開発は、実験者がそれまでの知見や経験などから高い性能を発揮する材料を予想し、実験的に材料を合成し、評価して、足りなければ実験条件や材料組成を修正し、さらに合成することを繰り返していました。このような試行錯誤的な開発の進め方では目的の機能を有する材料を見出すまで長い年月とコストが必要となります。しかし、エネルギー問題と医療インフラ問題は喫緊の課題でありますので、信頼のおける仮定に基づいた材料機能の予測により材料開発を迅速に推進することが求められています。

 近年の計算機技術の目ざましい発展と様々な材料データベースの充実により、インフォマティックス技術や材料シミュレーションを活用した材料開発のプラットホームが整っています。そのため、試行錯誤的に実験を繰り返すのではなく、機械学習や量子化学計算により材料機能の予測をしたり材料の設計指針を得たりして実験を効率的に進めることが可能です。燃料電池・水電解材料開発に関しても、近年第一原理計算などのシミュレーション技術を活用した研究が多数報告されるようになってきており、開発が高速化しています。また、計算化学的手法を活用することで、通常の分光学的装置では分析が難しい材料間の界面におけるプロトン伝導機構や触媒粒子表面の反応メカニズムなどの解析が可能なところも魅力的な点です。また、材料の実験的な測定結果や計算化学シミュレーションで得られた物性値を機械学習で用いるパラメータとして提供することで、より高精度な予測による材料設計が遂行できます。さらに、化学工学モデリングは、対象プロセスの結果を予測することができ、現象の本質を変えずに全体を簡略化し理解し、課題解決につなげられます。例えば、モデリングによりポリマー、膜、触媒、オペレーション等のどの要素・機能を改善すれば材料デバイス全体の性能を向上させられるかが分かります。

 我々は、上述の計算技術の活用により燃料電池・水電解・機能膜などの材料開発の高速化と合目的的な設計により、明るい未来社会の創造を目指します。


具体的な研究成果

プレスリリース

アニオン交換膜を利用した水電解による 高性能、高耐久、低コストの水素製造システム

極めて安価な金属で世界トップクラスの活性を持つ水電解用触媒を開発

東工大 化学生命科学研究所HP 最新の研究

実験、第一原理計算、データ科学に基づく 水素製造用鉄系電極触媒の設計戦略

純水供給固体アルカリ水電解のための高性能・高耐久膜電極接合体の開発

固体アルカリ燃料電池用電解質膜-高化学耐久性アニオン伝導高分子の設計開発

疾患診断に向けた生体分子認識ゲート膜の汎用化・高感度化

高活性・高耐久性な固体高分子形燃料電池カソード触媒 ~中空多孔構造を有するカーボンフリーPtFeナノ粒子連結触媒~

酸高密度構造で発現する高速プロトン伝導機構 -Packed acid mechanism- の解明