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- 2024.05.02
- 福島・庄子研究室
πスタックカラム構造を持った分子集合体における熱輸送特性
本来絶縁体である有機物質における電気伝導性の獲得とその理解は、有機エレクトロニクスの発展につながり、シリコン技術によって開発されてきた従来の電子デバイスに新たな物質ツールをもたらしました。このことは、有機物質の熱伝導性にも当てはまり、従来低いと考えられてきた分子を介した熱輸送に関する本質的な理解が進めば、有機物質は新たな熱マネージメント技術の有望な材料となると期待されます。しかし、多種多様な分子、分子間力、集合構造、形態を持つ有機物質は、その複雑な要素のために熱輸送に関する包括的な研究はなされておらず、未だ理解が乏しいものでした。この問題を解決するために、分子の位置や配向が定まり、分子内化学結合や分子間力の作用様式が明確に規定される有機単結晶に着目しました。本研究では、分子どうしを結びつける分子間力が熱輸送においてどのような役割を持つか明らかにするため、π-π相互作用と熱輸送特性の関係性について有機単結晶を用いて調べました[1]。πスタッキングは芳香族化合物の集合体においてユビキタスに見られる構造モチーフであり、電荷キャリアや励起子の輸送経路となることがよく知られていますが、熱輸送への寄与については未だ明らかになっていない点が多くあります。今回対象としたのは、高秩序な1次元πスタックカラム構造を有するtriphenylene-2,3,6,7,10,11-hexacarboxylic acid methyl ester(TP)[2]の単結晶です(図1a, b)。
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Fig. 1. |
(a) Schematic structure of TP. (b) Single-crystal X-ray structure of TP, showing the intra- and intercolumnar center-to-center distances between π-stacked TP molecules.
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Fig. 2. |
(a) Schematic illustration of the experimental setup for μTWA measurements.
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熱伝導度(κ)の異方性と温度依存性を議論するため、熱拡散率(α)、定圧比熱(Cp)、および密度(ρ)を、それぞれマイクロ温度波熱分析(μTWA)法、物理特性測定システム(PPMS)による緩和法と示差走査熱量計(DSC)、単結晶X線構造解析により室温以下の温度域で評価し、κ = αCpρの関係式から熱伝導度を求めました。μTWA法は、交流電圧によりジュール加熱した酸化インジウムスズ(ITO)膜と結晶を接触させることで、結晶内に温度波を生じさせ、通過した温度波を結晶の反対側に設置したセンサー(Au-Ni熱電対)で検出、電圧変換することで、入力と出力の位相差から熱拡散率を評価する方法です(図2)。μTWA法は温度波の入力する方向に合わせて単結晶の向きを変えることで、マイクロオーダーサイズの物質でも熱拡散率の異方性を得ることができます。
TP単結晶の熱拡散率、定圧比熱、密度、およびκ = αCpρより求めた熱伝導度の温度依存性を図3a〜dに示します。室温におけるπスタックに平行(π//)方向の熱伝導度(κ//)は、πスタックに垂直(π⊥)方向の熱伝導度(κ⊥)の2倍にも満たないことが明らかになりました。しかしそれらの温度依存性は大きく異なり、κ//は結晶的な熱伝導挙動を示すのに対し、κ⊥は単結晶であるにもかかわらずアモルファス的な熱伝導挙動を示すことを見いだしました(図3d)。π//方向の熱拡散率(α//)の温度依存性において、単結晶中でフォノン−フォノン散乱が起こっていることを示唆するα// ∝ T-1に近い振る舞いが観測されました。フォノンとは結晶格子の振動を量子化したものであり、一般的には音響フォノンと呼ばれる振動モードが熱伝導の主たるキャリアになることが知られています。熱拡散率の温度依存性と超音波測定により得られた音速(=縦音響フォノン群速度)を使いMFPを求めたところ、室温以下のほぼ全温度域でMott-Ioffe-Regel(MIR)limitよりも長いMFPを示したことから、π//方向では音響フォノンが熱を運んでいると結論づけました(図4)。MIR limitとはコヒーレントなフォノンの描像が成り立つための基準であり、キャリアがこれよりも長いMFPを持つときはコヒーレントなフォノンの描像が成り立ちます。一方π⊥方向の熱拡散率(α⊥)は、α⊥ ∝ T-0.41〜T-0.54の温度依存性を示し、さらに室温以下のほぼ全温度域でMIR limitよりも短いMFPを与えたことから(図4)、π⊥方向には熱伝導への音響フォノンの寄与は観測できないほど小さいことが明らかになりました。
有機物質には分子内自由度が存在するため、分子内振動にも熱エネルギーは蓄えられるはずです。実際TP単結晶の比熱の温度依存性の結果は、分子内振動に熱エネルギーが蓄えられていることを示していました。しかし分子内振動は非常に局在性の高い振動モードであるため、この熱エネルギーはどのように輸送されるのであろうか、という疑問が生じます。そこで、局在性の高い振動の伝搬を記述できるアインシュタインの熱伝導モデルを使って実験結果と比較したところ、分子内振動に蓄えられた熱エネルギーはアインシュタインの熱伝導モデルには従わないことが明らかになりました(図3d)。すなわち分子内振動それ自体は熱キャリアにはならないと考えられます。一方、π//方向には音響フォノンによる熱伝導のみが観測されていることを踏まえると、分子内振動モードが音響フォノンとカップリングして熱の移動が起こることで、分子内振動として蓄えられた熱エネルギーも音響フォノンによって運ばれると考えられます。この場合、室温付近で励起されるようなデバイ温度よりも高いエネルギーを持つ分子内振動モードは、デバイ温度以下のエネルギーを持つ音響フォノンとはカップルしにくくなるため、両者間の熱の受け渡しが効率的に行えなくなり、結果的に平均自由行程が短くなります。TPに限らず一般的に有機物質の熱拡散率が室温付近で10-7 m2·s-1程度と小さいのはこのためであると考えられます。π⊥方向には音響フォノンによる熱伝導が観測されていないため、分子内振動モードに蓄えられた熱エネルギーは音響フォノンとは別の形で運ばれている可能性が高いですが、どのように輸送されるかはまだわかっておらず、この問題は今後の課題になります。
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Fig. 4. |
Temperature dependence of mean free paths and MIR limits in the π// and π⊥ directions.
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以上より、πスタックカラム構造は音響フォノンを形成し、そのフォノンが熱伝導を担いますが、方向性を持たないファン・デル・ワールス力しか働いていないπ⊥方向には、熱伝導への音響フォノンの寄与は小さいことが明らかになりました。また局在性の高い分子内振動に蓄えられた熱エネルギーも音響フォノンによって運ばれることを示唆する結果が得られました。現在他の有機単結晶を用いて、水素結合など様々な分子間力と熱伝導性の相関を調べており、これら一連の研究により有機物質の熱輸送の理解が今後一層加深まることが期待されます。
[1] | R. Takehara, N. Kubo, M. Ryu, S. Kitani, S. Imajo, Y. Shoji, H. Kawaji, J. Morikawa, T. Fukushima, J. Am. Chem. Soc. 2023, 145, 22115-22121. (https://doi.org/10.1021/jacs.3c07921) |
[2] | T. Osawa, T. Kajitani, D. Hashizume, H. Ohsumi, S. Sasaki, M. Takata, Y. Koizumi, A. Saeki, S. Seki, T. Fukushima, T. Aida, Angew. Chem. Int. Ed. 2012, 51, 7990-7993. (https://doi.org/10.1002/anie.201203077) |