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- 2025.12.01
- 田中・吉田研究室
超解像赤外分光イメージングによる藻類バイオフィルム中硫酸多糖の 非標識かつ高解像度な可視化
【背景】
酸素発生型光合成をおこなうバクテリアの一群であるシアノバクテリア(藍藻)は、海洋、河川、湖、陸上、温泉、砂漠などの幅広い環境に生息し、酸素や有機物を供給している。彼らはブルームや微生物マットなどの多様なバイオフィルムを形成することで環境に適応して生きており、一方でそれらのバイオフィルムは環境中の他の生物にとっては住処や栄養源としての役割を果たしている。そのため、藍藻バイオフィルムの構造や形成機構の解明は、藍藻生理学のみならず生態学としても重要な意義をもつ。藍藻バイオフィルムを構成する主要な成分は、藍藻が細胞外に作る多糖、細胞外多糖である。藍藻は種ごとに異なる非常に多様な細胞外多糖を生産することが知られている。その中でも硫酸基で修飾された多糖類である硫酸多糖は、バクテリアの中で限られた種においてのみ生産が知られている。一方で、藍藻においては多くの種が多種多様な硫酸多糖を生産することが明らかになっている。そのため、我々は藍藻バイオフィルムの構造や機能を特徴づける大きな要因の1つが硫酸多糖であると考え、これまでに藍藻硫酸多糖の発見や合成系・制御系・機能の解明をおこなってきた1。実際には藍藻バイオフィルム中には硫酸多糖の他に様々な多糖やタンパク質、核酸などの生物分子が存在しており、それらの機能の理解には遺伝学的解析だけでなく、バイオフィルム中の分子と細胞の分布を直接捉えることも重要である。細胞外硫酸多糖の観察手法として、これまではアルシアンブルー等の塩基性染色試薬を用いたイメージングが主流であったが、この方法では多糖の分布や藍藻バイオフィルム構造に大きな影響を与えてしまうため、天然に近い形での硫酸多糖分布の観察はできていなかった(図1)。
非染色で試料の分子組成を可視化する手法としては、分子のラマン散乱や赤外吸収を計測する振動分光学的手法があり、特にラマン分光は、生細胞やバクテリア、バイオフィルムの組成分析に広く応用されている。しかし、藍藻は光合成色素由来の自家蛍光が強く、微弱なラマン散乱が自家蛍光に埋もれてしまうため、一般的なラマン顕微分光では計測が困難であった。一方で、赤外吸収分光は中赤外領域の光信号を計測するため自家蛍光の影響を受けず、藍藻バイオフィルム計測に有効である。しかし、従来の赤外分光イメージングの空間分解能は10 µm程度であるために、バイオフィルム中の細胞や分子の空間分布を可視化することは困難であった。
そこで我々は、大阪大学の加藤遼助教らが近年開発した、これらの既存法の弱点を克服した超解像中赤外分光イメージング技術を利用することで、藍藻バイオフィルム中における硫酸多糖と藍藻細胞の非標識かつ高解像度な可視化に取り組み、それを実現させた2, 3。本記事ではその概要を紹介する。
【結果】
顕微鏡の空間分解能を制約する大きな要素は、信号を読み出す際に使用する光の波長である。本研究に使用した中赤外フォトサーマル顕微鏡は、中赤外領域のパルス光を試料に照射し、分子の赤外吸収によって誘起される瞬間的な光熱効果(試料の屈折率変化や体積膨張)を、中赤外光より波長が10倍短い可視光により検出することで、可視光を用いる顕微鏡と同等のサブミクロン空間分解能で赤外吸収分析が可能な技術である(図2)。
また、蛍光フィルターを利用するだけで試料からの蛍光シグナルと中赤外信号(入射光と同じ波長の光信号)を分離し検出できる赤外吸収情報と蛍光を同時にかつ同じ分解能でイメージングできることも、大きな利点である。そこで、硫酸多糖の硫酸基に特有である赤外吸収信号と、藍藻に特有のクロロフィル自家蛍光に着目した。
藍藻細胞と標的硫酸多糖の精製品の赤外吸収スペクトルを測定すると、細胞ではタンパク質を主成分とする信号が、硫酸多糖では硫酸基に起因する1494 cm-1のピークを含む信号がそれぞれ検出された(図3A)。この結果をもとに、透明基板上に藍藻バイオフィルム試料を調製し、硫酸多糖の赤外吸収信号強度とバクテリアの自家蛍光強度を計測し、明視野像と合わせてイメージングをおこなった(図3B, C)。その結果、バイオフィルム中の藍藻と硫酸多糖を非標識かつ超解像度で可視化することに成功し、バイオフィルム中で硫酸多糖が繊維状構造を作り出しており、その形状に従い藍藻細胞が整列している様子が観察された。一方で、バイオフィルム中には硫酸多糖の線状構造のみが観察される箇所も存在した(図4)。
【考察・展望】
この藍藻種が作るブルーム状のバイオフィルムの形成機構に関して、これまでのマクロな観察により、まず培養液中に繊維状に広がった硫酸多糖に藍藻細胞が付着した後に、気泡の浮力などによってそれらが自己集合し、高密度のバイオフィルムを形成すると予想していた1。これまでのアルシアンブルー染色による硫酸多糖イメージングでは、細胞と共局在する繊維状や塊状の硫酸多糖が観察されたものの、この構造が染色法によるアーティファクトである可能性が排除できなかった。本研究では非染色条件下で、硫酸多糖が線状に分布し、さらにそこに細胞が付着して存在している様子の観察に成功した。さらに細胞が付着せず硫酸多糖のみが線状に分布している領域も観察された。これらの結果は、先に硫酸多糖が培地中に広がって存在し、次に細胞が硫酸多糖に付着し、最後に自己集合によりバイオフィルムが形成されるという我々のモデルを支持している。加えて本技術では硫酸多糖の他にも、タンパク質や脂質などに起因しやすい信号をもとに、それらの分子分布の可視化も可能である。藍藻バイオフィルムタンパク質内のアミド結合由来の赤外吸収強度像でも、硫酸多糖と同様のライン状の構造が確認できていたことから、バイオフィルム内でタンパク質も介在し、多糖成分と相互作用しながら構造を形成している可能性が示唆された。
本成果は、藍藻バイオフィルムの主要成分である硫酸多糖と藍藻を、非標識かつ高解像度で可視化した最初の例である。今後、主成分分析や機械学習等を用いたデータ解析法等も組み合わせることで、藍藻バイオフィルム中に存在する硫酸多糖を含む多様な多糖類や、酵素・細胞外DNAなど様々な分子の局在も可視化することが可能になれば、藍藻バイオフィルムの形成と機能の理解がさらに深まると期待できる。また、硫酸多糖は化粧品や医薬品の材料としても利用される高付加価値な有用多糖類の一群でもあり、藍藻は硫酸多糖生産者として注目されている。そのため、藍藻の各株において生産される硫酸多糖の質や量を簡便に評価することが可能になれば、応用研究にも役立つことが期待される。さらに、バイオフィルム自体は藍藻に限らず非常に多様な微生物が自然界で形成するものであり、生態学・医学・農学等において非常重要な研究対象である。例えば、病原菌が感染する際にはバイオフィルム形成が重要であるし、環境中の微生物バイオフィルム中では生体分子による情報伝達がおこなわれている。そのため、本研究で用いた顕微分光技術は、これらの研究においても有効なツールの一つとして、今後活躍すると思われる。
【引用】
| 1. | Kaisei Maeda, Yukiko Okuda, Gen Enomoto, Satoru Watanabe, Masahiko Ikeuchi. Biosynthesis of a sulfated exopolysaccharide, synechan, and bloom formation in the model cyanobacterium Synechocystis sp. strain PCC 6803. eLife, 2021, 10:e66538. |
| 2. | Ryo Kato*, Kaisei Maeda*, Taka-aki Yano, Kan Tanaka and Takuo Tanaka. (*Co-corresponding author), Label-Free Visualization of Photosynthetic Microbial Biofilms using Mid-Infrared Photothermal and Autofluorescence Imaging, Analyst, 2023, 148, 6241-6247, cover art. |
| 3. | 加藤遼; 前田海成. 超解像赤外分光イメージングから迫るバイオフィルムの形成機構. 生物物理, 2024, 64.6: 321-323. |







