細胞の運命が決まる枠組み

生物は自分の運命をどうやって決めるのだろう?

 全ての生物は細胞から成り立っていますが、細胞はさまざまな機能分子が集まってできた複雑なシステムです。このような視点から従来、細胞の中にある一つ一つの因子を同定し、その詳細を明らかにする研究が進められてきました。そして今後の研究では、どのようにそれら因子が結びついて生命活動がなされているかを解明せねばなりません。しかし、細胞は調べれば調べるほど複雑で、その全体像には未だ五里霧中の点が多く残されています。その先に進むために、現在の生物学は様々な方法論が競争的に試されている状況と言って良いでしょう
 私はこのような複雑さを扱うために、1)できるだけ単純な生物材料を用いること、2)進化的背景に基づいて細胞機能を考察すること、そして3)様々な生物間の比較により重要な機能を洗い出すこと、などを基本方針に、幾つかの重要な生命現象を取り上げて研究を進めてきました。全てのテーマは、生物はどのようにして自分の運命を決めるのだろうか、という問題に関わりますが、考え方の枠組みを共有することで、生物学的に重要な諸問題への展開も目指しています。
 以下、実際に進めている研究について紹介します。また、これまでの研究の流れ、より具体的な内容については、個別のストーリーとして別ページで説明するつもりです。
 

1、バクテリア細胞の代謝と増殖制御

研究材料:大腸菌、シアノバクテリア
 細胞はその中に細胞核があるかないかにより、真核細胞と原核細胞とに分けられます。このうち、生命の歴史の上で先に生まれたのは原核細胞で、その後、原核細胞同士の共生体として真核細胞が進化してきました。現在の真核細胞においても、原核細胞(バクテリア)は消えずに、それを構成する一員、ミトコンドリア葉緑体として生き続けていますから、原核細胞を深く理解することは全ての生命の理解に非常に重要です。
 私達は原核細胞の中でも代表的な実験材料であるバクテリア、大腸菌やシアノバクテリアを主に用いて、その細胞制御の中核にある栄養飢餓応答と増殖制御について考察を進めています。これは平たく書くと、栄養分がなくなるとバクテリアは増殖を止めるのですが、その時に何が起こっているのかを考えようということです。普通、エサがなくなると増えなくなる、というと当たり前にしか聞こえません。しかし、本当に当たり前なんでしょうか?
 細胞が増える際には、炭素や窒素、硫黄やリンといった材料を用いて、さまざまな生合成反応が並行して進行しています。栄養が足らないと言っても、炭素が足らないのか窒素が足らないのか、原因により直接の影響は大きく異なるはずで、様々な生合成反応のスイッチを一斉に切って、どの栄養の枯渇でも同じように増殖停止することは決して当然のことではありません。高度に連動したシステムは、止めるのも相当に難しいことなのです。
 
 更にもう一つ、注意すべき点があります。外界に栄養が全くない時、もちろんバクテリアは増えることができません。しかし、栄養がある場合には、バクテリアは増える・増えないという二つの運命を選択することができるはずです。実際、バクテリアをよく観察していると、栄養があるのに増殖を止めてしまうケースが多いことに気がつきます。これは、早めに増殖を切り上げることにより分化や休眠状態に入り、長い目での生存に有利とするためと考えることができるのですが、このような運命の決定はどのようになされ、どうして細胞は上手に増殖を停止することができるのでしょう。
 このような問題に答えるには、細胞内の代謝反応系がどのように調節されているかの研究が、まずは手掛かりを与えてくれそうです。ここで働く仕組みを理解できれば、細胞内の諸プロセスを統御する実体に迫れるのではと考え、研究を進めています。
 
→ バクテリアの栄養飢餓とは
→ バクテリアの窒素飢餓応答
 

2、真核細胞の枠組みを細胞共生から考える

研究材料:シゾン、ゼニゴケ、シロイヌナズナ、タバコなど
 前項にも書きましたが、真核細胞が生まれたのは原核細胞同士の細胞共生によったと考えられています。この際に基となった原核細胞は、既に自律的に生きている細胞だったのですから、自身の細胞周期や代謝系をもち、外環境と相互作用しながら生きていたことでしょう。そのような細胞同士が共生し、統合された一つの細胞として生き始めた際には何が起きたのでしょうか。アーキアバクテリアという、性質の大きく異なる2種の細胞が共生関係に入り、遂には細胞核とミトコンドリアになったとされています(有力な学説です)。さらにシアノバクテリア(酸素発生型の光合成細菌)の共生により植物が誕生します。それらの際には、複数の細胞の細胞周期を共役させる必要があり、さらに、お互いに補完的な代謝系を構築しなければならなかったことでしょう。私達は、このような必要を満たすための進化が、真核細胞の細胞制御の枠組みを形作ったのではないかと考えています。このような仕組みを研究するために、私達は最も単純な細胞構造をもつ単細胞藻類「シゾン」を用いた考察を進めています。細胞核とミトコンドリアや葉緑体の相互作用は、現在も真核細胞制御の根幹にあるはずです。
 シゾンは非常にシンプルで、骨組みだけのような制御構造をもった真核生物です。私達はこの細胞の研究が、真核細胞に共通の枠組みを明らかにする近道であると考えています。多細胞生物である動物や植物では、真核細胞がさらに集合して複雑な高次システムを作っています。しかし、このようなシステムでも細胞を基本ユニットとして構築されていることに変わりはなく、細胞レベルの理解は極めて重要です。実際、シゾンで明らかにした核ーオルガネラ間のシグナル伝達機構の一つが高等植物でも保存され、細胞増殖の制御に重要な役割を果たしていることが判りました。
 シアノバクテリアの共生により植物が誕生したのは10億年以上前とされますが、この際に、シアノバクテリアが入り込む宿主となったのは、既にミトコンドリアを獲得した真核細胞でした。この宿主細胞、シアノバクテリアの光合成能が目当てで共生した訳ですから、共生する前には従属栄養性。つまり、他の生物が作った有機物を食べて生活していたはずです。光合成をしないのですから、菌類や動物と一緒で、光なんかなくとも(少なくとも生存には)関係ない生き方です。しかし、細胞共生をして植物になると、途端に光がないと生きていけない。いくら栄養があっても、細胞増殖もまともにできない生き物になってしまいました。よく考えると不思議です。最近の私達の研究は、これがシアノバクテリアの細胞共生のあと、暗所での増殖を禁ずる分子機構が進化したためであることを明らかにしています。このような、細胞増殖(運命)を決める仕組みが細胞共生という進化により説明できたことは非常に興味深いと思いませんか。
 私達はこのような視点から、動植物系にも研究対象を広げようとしています。例えば、植物の物質生産能力は様々な形で利用されていますが、この能力のほとんどは、シアノバクテリアが共生して生じた葉緑体によるものです。光合成能力だけでなく、穀物やイモでデンプンを貯めるのも、葉緑体の変化したアミロプラストと呼ばれるオルガネラです。植物における、このような葉緑体(色素体とも呼びます)の可塑性、運命決定はどのように決められるかは、今でもよく判らないのです。このような葉緑体の分化機構の解明も、私達の重要な研究テーマの一つとなっています。
 さらに、ミトコンドリアは細胞運命の決定に、どのように関わっているのでしょうか。。興味は尽きることがありません。

3、藻類と光環境応答

研究材料:シアノバクテリア、シゾン、ゼニゴケ、シロイヌナズナ
 地球上の全ての生命活動は、光合成により捕捉された太陽からの光エネルギーに依存して営まれています。酸素発生型の光合成機能は、30億年以上前にシアノバクテリアにより発明されました。そしてシアノバクテリアが大量の酸素を発生したことで、大気中の酸素が作り出され、その後の地球環境に決定的な影響を与えたのだと考えられています。さらにシアノバクテリアは、真核細胞の中に共生体として入り込んで葉緑体となり、全ての真核藻類や植物の進化の原動力となっていきます。現在の藻類や植物でも、シアノバクテリアの発明した光合成の仕組み、そのものは殆ど変わらずに使われています。それだけ、シアノバクテリアの作り上げた仕組みの完成度が高かったと言うことになるでしょう。
 光合成のポイントは、光エネルギーにより水を分解し、還元力とATPを作り出す明反応系にあります。このシステムは一定で適切な強さの光があれば、極めて優れた性能でエネルギーを作り出すことが可能です。ここで得られた大量のエネルギーを炭酸ガス固定(カルビン回路)に注ぎ込むことで、有機物に頼らない独立的な生き方が可能となりました。このような光合成機能の研究は古くからなされ、現在も多くの研究者が集中的な研究を進めています。
 しかし、地球上には昼夜や天気など、光を変動させる要素が沢山ありますから、光合成生物はこのような環境変化に適切に応答しないと、自然環境では生きていけません。例えば昼間、直射日光の光は極めて強力で、光合成装置を破壊してしまうほどのものですから、このような状況では迅速に光合成装置を修復することが必要です。また、夜の間には光が期待できませんので、昼の間に貯めた糖分を再分解して必要なエネルギーを確保していきます。
 この、地球に夜がある問題は非常に面白いポイントを含んでいて、光合成生物は独立栄養(炭酸ガスだけを炭素源として生きていく)なのですが、夜間は従属栄養(有機物を分解して生きて行く)的な代謝をせざるを得ない。つまり、二つの(逆向きの)矛盾した代謝を、一つの細胞の中に併せ持つということになる訳です。このような機能を細胞が使いこなすには、それを調節する精緻なシステムが必要です。当然ながら、反対向きの代謝経路を同時に活性化すれば、グルグル廻りになって単なる無駄ですので、片方のシステムをオンにしたら、もう片方はオフにしなければ意味がありません。二者択一的な選択、と来たならば、システムの運命決定の問題と関係があるに違いありません(手前味噌ながら)。
 また、光があれば明反応が駆動できますが、暗所では動きません。それは当然ですが、では、光があっても明反応をオフにし、夜のように振る舞うことは可能なのでしょうか。結論から書くと、それはどうやら可能なようです。ここには、上に書いた栄養とバクテリア増殖の関係とそっくりな問題が見えているように思えます。そして、シアノバクテリアはこのようなシステムを自由自在に使いこなし、地球上の光環境に最適な体を作り上げてきたと言えるでしょう。
 他方、シアノバクテリアは地球上の光環境に最適化しているのだから、人工的な環境では能力を発揮しきれていないと考えられます。現在、シアノバクテリアや他の光合成生物の能力は非常に注目されていて、人工的な光環境でのバイオマス生産能などに注目が集まっています。また、ひょっとすると地球を離れ、宇宙での食料生産に役立てる日が来るのかも知れません。その時には、任意の光環境に応じたシアノバクテリアをデザインし、育種することが必ず重要となるはずです。
 私達は現在、主に遺伝子発現のプロセスを切り口に、シアノバクテリアと光環境の関わりについて考察を進めていますが、そこには非常に普遍的なことが隠されているようです。さらに、シアノバクテリアで進化した光応答は、シアノバクテリアが共生して生じた葉緑体や、共生により生まれた植物細胞にも引き継がれ、大きく進化を遂げてきました。このような進化や、植物におけるシグナル伝達機構についても、私達は興味の対象としています。
 以上、当研究室で進めている研究について述べてきましたが、多様なテーマ、材料を扱っているものの、これらのテーマは密接に関連していて、ある意味で一つのテーマです。つまり、細胞や、細胞を構成するサブシステムの運命を決める論理を知ろうとしています。そして、それにより細胞をコントロールし、利用するための基礎理論を構築することが、研究室としての狙いと考えています。
 
結論(感想?):生き物は多くの場合、自然環境の中に生きていて、多くの制約を受けています。そこで必然的に、否応なく自分の運命が決められているように見えることが多いのですが、実際にそうなのでしょうか。仕方のないこともあるのですが、実際にはとても自由に、可能性の中から自分で運命を選択することができて、そこから多様性も生まれてきているようです。これは、生きたシステムにかなり普遍的な性質なのではないかと思われます。
 

応微研ジャーナル


 
1955年創刊、67年の歴史をもつ日本オリジナルの微生物学分野の国際誌です(IF 2020/2021 = 1.447)。本誌のChief Editorを2014年3月より田中が担当しております。

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