栄養飢餓と増殖

 栄養分がなくなると細胞は増殖を停止します。当たり前に思えますね。。。生物は外界から栄養分を取り込んで、自分の体を作り上げます。また、光合成や化学合成のできる独立栄養生物を除けば、生物は有機物の酸化によりエネルギーを取り出して活動の糧としています。それならば、栄養分がなければ増殖しないのは自明の理にも思えます。細胞の増殖にはアミノ酸、核酸、糖、脂質などの合成が必要で、これらには炭素、窒素、硫黄、リンなどの材料となる元素を調達せねばなりません。これらの元素を材料として、自分の必要な化合物に加工するために、別途獲得したエネルギーがどうしても必要となります。
 
 実際には外界に、欲しいものが欲しいだけあるような都合の良いことはありませんから、生物は様々な元素やエネルギーの獲得戦略を進化させ、互いに生存競争を繰り広げてきました。炭素や窒素、エネルギーなどの獲得には、それぞれ特化した輸送系や同化酵素が発達し、さらにそれぞれが、複雑な生合成系により生体物質として組み上げられていきます。幾つもの部門の協調作業により複雑な製品を組み立てていく工場と考えれば良いでしょう。これが、栄養が不足していない時に起きていることです。原料やエネルギーがバランスよく供給されれば、効率よい生産を持続することができます。
 
 一方、栄養が足らなくなると、これらのプロセスのうち「どこか」が止まってしまうことになります。例として、大腸菌のような従属栄養バクテリアを考えてみましょう。大腸菌は炭素源としてグルコースのような有機物を取り込み、生合成反応の出発点として用いるのと同時に、異化反応の基質としてエネルギー獲得にも利用します。従って、炭素源の枯渇の際には、炭素を用いた生合成反応と、エネルギー獲得反応の両方がストップすることになります。ところが窒素のことを考えてみれば、窒素は生合成反応には必要ですが、エネルギーの獲得には関係ありません。ですので、窒素源の枯渇ではエネルギーの供給は止まらないのですね。これだけを考えてみても、栄養源の枯渇と一言で言っても、その内容により細胞の生理状況は大きく異なることが判ります。炭素がなくなれば、ほとんどの生合成反応は止まってしまいます。この時、同時にエネルギーの供給も止まりますから、それほど困ったことも起きなさそうです。しかし、窒素源が枯渇した場合には、基本的にはアミノ酸が合成されず、巨大なエネルギー消費先であるリボゾームも止まってしまいます。この時に、炭素の異化によるエネルギー供給が続けば、還元力の過剰や活性酸素発生など、細胞にとって困ることが沢山起きてしまいます。窒素以外の元素枯渇でも、それぞれに固有の事情はあるでしょうが、バランスが崩れることによる不都合が起こることは同じです。
 
 光合成生物であるシアノバクテリアでは、エネルギーの供給は基本的に、光による明反応系の駆動によりなされます。したがって、栄養源の枯渇による生合成反応の停止は、どれもエネルギーの供給過剰をもたらすことが予想できるでしょう。大腸菌とは異なるのですが、細胞が困ることに変わりはありません。細胞はこのような困難を、どのようにして乗り越えているのでしょうか。
 
 植物栄養学の分野で「リービッヒの最少律」と呼ばれる法則があります。またこの法則は「ドベネックの桶」としても表現されるもので、植物の生長が、もっとも不足している栄養素により制限されてしまうことを述べています。これは実は、全ての生物にあてはまるものであり、バクテリア細胞の栄養素の枯渇でもどうやら同じなのですね。つまり、一つの栄養素が不足すると、その他の栄養素をどんどん同化し続けても生物としては意味がない。だから、他の栄養素の同化量、エネルギー生成反応、そして細胞増殖を、最も不足している要素に合わせて抑制する働きがあるということです。このような同化の相互作用のうち、植物栄養学では、もっとも重要な炭素と窒素の相互作用について特に「C/Nバランス」と呼んできました。
 
 さて、ここで話を戻しますが、栄養源の枯渇と増殖停止の関係です。特定の栄養素が枯渇すると、それに対応して代謝変化やその他の生理的変化が起こります。しかし、この変化は普遍的なものではなく、枯渇した栄養素に依存して異なるのですから、増殖の停止が、特定の変化により誘起されるとは考えにくいのです。
 
 話を見やすくするために、増殖を停止している細胞が、逆に増殖を開始する条件について考えてみましょう。これは、植物の種が発芽する時のことと似ています。種が芽を出すためには、水分、空気、温度などが必要だと(小学校の教科書にも)書いてありますね。これらの条件は、それぞれ全く違うことに働きますが、種はそれらが「全て満たされた」ことを「チェック」して発芽する訳です。バクテリアにしても、様々な栄養素があることを「チェック」して増殖を開始します。このように異質な様々な状況を監視していて、全ての条件が満たされた時にだけGOサインを出すような働きのことを、生物学では「チェックポイント機能」と呼んでいます。増殖が停止する際には逆のことが起きているはずですから、同様のチェックポイントが様々な状況を監視していて、一つでも条件が合わなくなった際には増殖を止めてしまう。そのような分子機構があると考えれば良いでしょう。
 
 細胞の増殖をオンオフする、その判断は新規のDNA(ゲノム)複製を開始するかどうかに依存して決められます。しかし、細胞から精製したDNAポリメラーゼは常に活性を保っていますから、細胞内でのDNA複製は通常は抑制されていて、その抑制が解除されることで複製開始が起こるというモデルが考えられています。チェックポイントのモデルは、このような活性制御モデルとよく合うと言えるでしょう。
 
 このようなチェックポイントの実体として、真核細胞では実は以前からCDKやTORのようなプロテインキナーゼが良く知られています。しかし、バクテリアやアーキアでは、対応する機能がどのように果たされているのか明確にされていません。大抵の場合、真核細胞における制御構造は、原核細胞のそれよりも複雑なことが多いのですが、この点に限っては原核細胞の方がよく判らず、今後の研究で、どうしても避けては通れない課題と考えているところです。
 
 栄養飢餓応答の研究は、これまでも非常に活発な研究が進められてきた分野です。その中で研究されてきたことは、特定の栄養源の飢餓に対する生物応答が主な内容です。例えば、窒素源が枯渇すると窒素同化遺伝子の発現が上昇する。アンモニアや硝酸のトランスポーター、グルタミン合成酵素の量が増えたり、活性化が起こることで、窒素の取り込み量を増やそうとするはたらきです。このような応答により、外界からの窒素フローを上げることができれば、細胞の恒常性の維持(ホメオスタシス)としては成功したということになります。そのための遺伝子発現や、同化酵素の活性制御の分子機構が解明されれば、窒素飢餓応答が判った!と考えられた訳です。
 
 しかし、私はこの結論は少し変だと思います。自然界で生きている生物にとり、窒素飢餓が起きた時にレスポンスをして、それで何とかなるケースはどのくらいあるのでしょう。外部環境にある栄養源は使えばなくなります。質の良い窒素源(アンモニアやグルタミン)がある時にはこれを使い、なくなれば、次第に質の悪い窒素源(硝酸、場合によってはN2)までを使うようになる。でも、N2を除けば限りがあるので、いつかは諦めなければなりません。その時に、本当の意味での栄養飢餓が起きるのですが、その際に起きることは余り判っていない。それが、栄養源によらない、一つ奥にある栄養飢餓応答とでも言うべき反応系であるはずです。上記の内容が、そのような応答に対応するということは判っていただけると思います。
(2011.7.30 KT)
 

応微研ジャーナル


 
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